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たそがれ歴史の記憶


歴史大好きなタックンのお勉強ブログです。
by tasopentax

鎌倉に行くので源頼朝について調べてみた

今度の休みの日に鎌倉に日帰りで遊びに行ってこようと思うので、せっかくなので、鎌倉幕府を作った源頼朝について勉強してから行ってこようかなと思っています。

先に勉強していったほうが向こうに行っていろいろと見たり聞いたりして学習できることも多くなると思います。

そういったねらいを持って今回の記事は書いて行こうと考えています。

まず、源頼朝が出てきた時代というのは、源氏と平氏が争っていた時の話になります。

一度頼朝は戦争に負けてしまうのですが、その後、平氏を撃退して挽回を果たします。

当時の日本の状況というのは頼朝を含め4人の人物が日本を4分割して争っているという状態でした。

頼朝には源義経という戦争の天才だった弟がいたのですが、この頼朝が兵士を打ち倒してくれます。

ですが、頼朝は義経の戦争の才能に恐れを抱き、結局は義経を間接的に死に追いやったのも頼朝でした。

その後、源頼朝はいい国つくろうで有名な1192年に、征夷大将軍となって鎌倉幕府を作りました。

頼朝自体は1199年という早い時期に死んでしまいます。
たった7年の天下だったわけですね。

その後は、妻の北条政子に執権を握られて、源の一族は滅ぼされていきました。
そして鎌倉幕府は北条氏のものになっていきます。

歴史的に元寇が起こったのは鎌倉時代ですが、モンゴル軍と戦ったのは北条時宗なのですね。
源氏というのは、天下を取ったものの、あまり恵まれなかったのですね。
義経を死に追い込んだツケが回ってきたのでしょうか。

(大仏)
鎌倉の大仏は、まちろん鎌倉時代に作られてものですが、やはりこれも北条氏の支配の時に作り始められたようです。
ただ、誰が作ったのか?詳しいことはわからない謎が多いものだそうです。

(滅亡)
元寇によって、御恩と奉公という制度が立ち行かなくなった鎌倉幕府に対して、各国が不満を漏らし始めます。

そこで立ち上がったのが後醍醐天皇で、武家政治ではなく、天皇による政治の復活の為に、鎌倉幕府を滅ぼそうとしました。

最初の2回は失敗し、後醍醐天皇も島流しに会いますが、3度目の正直で見事に鎌倉時代に終止符を打ちます。

ですが、後醍醐天皇による政治は上手くいかなくて、足利尊氏が反旗を翻します。

今後は、尊氏が征夷大将軍に任命されることで、室町時代が始まったのです。
by tasopentax | 2013-05-29 21:14

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